Vol.0307:日本の為替の歴史(前編)
〇この記事を読むのに必要な時間は約3分です。 江戸幕府が終わり明治と言う新しい時代に入った後
1871年(明治4年)に『新貨条例』という法律が
作られ日本の貨幣単位として『円』が作れられました。
当時は『純金1.5グラム=1円』と定められ
1円、2円、5円、10円、20円の金貨が製造されていました。
そしてアメリカとの為替取引もちょうどこのころから始まっており
当時は『1ドル1円』と言うレートだったのです。
つまり、日本とアメリカの為替取引の過去最高の円高とは
『1ドル1円』なのです。
その後、為替レートは円安に向かっていきます。
1871年に1ドル1円だったのが
1897年には1ドル2円まで円安が進行します。
この時の原因は
『1877年に起こった西南戦争の戦費調達のために
政府が不換紙幣を大量に発行したことにより、円の価値が下落した』
ことが原因でした。
そして、円の価値が大きく下落したことをきっかけに
日本銀行が作られたのもこの時期でした。
1882年に松方正義大蔵卿が日本銀行を創設。
日本銀行が唯一の中央銀行として、本位貨幣(金貨や銀貨)と必ず交換する銀行券を
独占的に発行するという制度を作ったのです。
そしてこの政策がうまく機能し
ドル円の為替レートは
1897年から1931年までの34年間
1ドル2円前後で安定的に推移します。
しかし、ここからドル円の為替レートはさらに円安に向かいます。
1929年10月24日の米国での株価大暴落(ウォール街大暴落)を発端として
世界的な大不況となり、これが原因で
1931年12月13日に大蔵大臣に就任した高橋是清は
金の輸出を禁止し、日銀の発行している兌換銀行券を
金貨に交換することを法律で制限しました。
つまり、金本位制度はこの時に終わっているのです。
さらに高橋蔵相は1932年2月、金融関係者に対し
財政政策の拡張と満州事変の戦費調達のために
国債の日銀引き受けを実施する準備がある旨を伝えました。
高橋蔵相の強い意向を受け、日本銀行もこれに同意。
この辺りは今のアベノミクスにかなり似ていますが。
(日銀が国債をバンバン引き受ける状況が)
そしてこの結果、円はまた暴落し
ドル円で2円前後から1932年12月に
1ドル4.8円まで円安が進行することになります。
そして、時代は世界大戦へと向かっていきます。
続きは
Vol.0307:日本の為替の歴史(後編)